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未来への遺言の盆帰り2025/09/1

この手紙はお盆休みに書いています。わたしたち戦後生まれの人間にとっても日本のお盆は「終戦の日」に違いありません。わたしが幼いころ、普段は戦争の話などすることのない戦争を生き抜いてきた職人さんたちがこのお盆には昼ご飯の時、麦茶を飲みながら戦時の体験を話してくれました・・「マコちゃんは、兵隊に行くこともなく、飢える事もなく、何より自由の世界に生まれてこれてよかったばい!」とわたしの頭をさすりながら言ってくれたことを忘れません。

後年、社長になり書き始めたこの「社長からの手紙」でもお盆の便りには何度も戦争の話をしたためて来ました。時には広島原爆の「偵子の千羽鶴」、神戸空襲「蛍の墓」のドロップ缶のこと、「ちいちゃんの影送り」のことなど犠牲になった子どもたちへの鎮魂でもありました。『星の王子様』で有名なフランスの作家サンテクジュペリはフランス空軍の戦闘機乗りでもありました。珠玉の名作を遺し地中海で撃墜死しますが生前、夜間飛行時に街の小さな灯を見つけてこうつぶやきます「この地球は先祖から受け継いできたものではない。未来の子どもたちからの預かりものだ!」と。

今年のお盆は終戦80周年に当たります。おそらく戦後生まれのわたしたちの世代も未来の子どもたちへ戦争の記憶を伝える機会は最後になると感じています。それで今月の手紙はとても長くなりそうです。よかったら最後まで目を通してもらえると嬉しいです。

 雲流る果てに

いまから25年前の創業50周年の折、会社の記念懇親旅行の行先は鹿児島知覧の平和会館(特攻基地)にさせてもらいました。地味であり悲壮感も伴う土地柄なので少ない参加者になるだろうと思っていたのですが、なんと200人を超える従業員の参加希望がありました。バスや宿の手配が追い付かないので、2班(隔週出発)に分けての旅行となりました。

平和会館の展示に、みなさんが何を感じ、何を思われたかは知る由もありませんが、知覧のお茶の美味しかったことが記憶に残っています。因みにわたしはこの春三月に東京の靖国神社をお参りしてきました。同期の桜隊で有名な約束の桜も満開で迎えてくれました。お昼ご飯は、知覧基地軍指定食堂「富屋」の“特攻の母”鳥濱トメさん復刻版「玉子丼」を頂きました・・少年特攻兵が最期の晩餐に所望したおふくろの味です。

 海ゆかば

戦後80年の歳月が流れるなかに、当社は奇しくもミャンマーやインドネシアの若者たちと共に生きています。太平洋戦争時にはミャンマー(当時の国名はビルマの竪琴で有名)にも多数の帝国軍隊が侵攻しましたが、悪名高く無謀な「インパール作戦」の失敗によりビルマの退路は“白骨街道”と化しました。戦闘死ではなく、ほとんどの兵隊さんが病気と飢えで亡くなりました。その戦死者数は3万人以上に達し、未だにそのほとんどの遺骨が未帰還のままミャンマーの山野に眠っています。

そして未来のミャンマーの若者たちが今、平和のニッポン国を訪れることになりました。大戦時には太平洋を越えて帝国軍はインドネシアへも進駐しました。侵略ではありましたが、終戦時には不思議なことが起こりました。日本敗北と同時にインドネシアでは、旧植民地支配国・オランダとの独立戦争が勃発します。そして旧日本軍兵2千余名が祖国へ帰還することなく、独立軍の友軍として共に独立戦争に参戦し独立を支援したのです。この義勇軍は現地で“ムルデカ(=独立の意)”と呼ばれいまでも尊敬を集めています。

そして80年の時を超えて今、未来のインドネシアの若者が福岡の繁栄を支えに渡海して来てくれています。

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