社長からの手紙
梨の子守歌の思い出2024/11/1
もう60年も前の当社は大手建設会社の竣工清掃を専らにしていました。島原半島雲仙温泉のホテル新築建設にも従業員(職人さん)は、長期の飯場暮らしを送っていました。
この雲仙温泉との縁で当時の工事班の“昭和の慰安旅行”は地獄温泉巡りでした。子どもの私も社長(父親)に連れられ参加していました。工事班の女性軍は朝倉の農家の方々でしたが、普段の仕事時の姿は姉さんかぶりにヘルメットと男勝りです。それが旅行の時には髪にパーマネントを掛け、厚化粧でお出ましです(笑)。カラオケなどまだ無い時代でしたが、温泉宿でおばちゃんたちが口ずさむ♪島原の子守歌♪(島倉千代子さん歌唱)の節がいまでも脳裏に浮かんできます・・
おどみゃ(わたしは)島原のナシの木育ちよ[梨の木しかない貧しい家育ち] ナンのナシやら色気ナシばよ しょうかいな(しょうがない)・・二番の歌詞には、嫁御(よめご)ン 紅(べに)ンナ 誰(だれ)がくれた 唇つけたら 暖かろ・・
と切なく叶わぬ乙女心が謳われていました。
この手紙が届くころには、季節はいっきょに秋を飛び越え初冬の趣きになっているかもしれませんね。朝日ビルメン創業74年目の秋の豊穣を皆さんと共に分かち合えたことに心よりの感謝の気持ちを捧げます。本当にありがとうございます。真にご苦労さまです。
さぁ、元気に冬を乗り越えて行きましょう!