社長からの手紙
かもめの玉子2011/10/1
時は、ひまわりの季節からコスモスの季節へ移ろうとしています。9月の上旬に再び東北被災地を慰問して来ました。3月11日の大震災・大津波から半年目の訪問です。前回6月に被災三ヶ月後の陸前高田市を訪れた時、人口2万4千人だった同市地域一帯はただの荒涼とした荒地と化していました。人間はもちろんのこと、ねずみやゴキブリや雑草さえも生息していないような“無機質”な土地に感じました。その陸前高田市(のあった)土地は半年後には、ただの原野と化していました。人が生活していた街のあった土地という痕跡は何も見られず、あたかも畑や田んぼが耕作放置されて夏草が覆い茂ったという風景です。人工の営みをまさに自然が葬ったという心象でした。今回は釜石市で、社長たち幹部を津波で喪った同業者企業の人たちと話をすることができました。話して頂いた当時の悲惨な状況を私はここに書き置くことができません。ただ、今は残った従業員の人たちが力を合わせて前向きに会社の仕事を継続されている姿に心が震えました。大船渡市は未だガレキ処理も進んでおらず、倒壊家屋の中に“家族写真”を見つけたときは本当に胸が絞めつけられました。この情景と事実を私自身の中で整理するにはもう少しの時間を与えてください。 ・・・一番大切なもの ・・・在って当たり前なのにもう手にすることはできないもの。 現地新聞記者の取材メモの走り書きを思い出しました。避難所暮らしの老人の言葉「(支給物資を)奪い合えば足りなくなるのに、分け合えば不思議と余る。」