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津波てんでんこ ~ 特別な夏のその先に ~2011/09/1

皆さん穏やかなお盆を過ごされたことと思います。それでも当社の場合は、盆正月関係なく勤務の従業員の方が多いですね。暑中の精勤ご苦労さまです。お盆はいつも戦争の災禍を振り返るときでもありました。しかし今年は戦後66年の時を経て、3月11日の東日本大震災の“災後”を見つめる特別の夏ともなりました。被災地学童の紙一重の生死を見つめてみましょう。岩手の釜石は死者行方不明1200人を数えました。釜石の小中学生は約3千人いますが、地震津波による事故者は5名でした。実はその5名は当日いずれも学校を休んでいた学童です。釜石では登校していた学童全員が無事だったのです。この奇跡はまさに日常の防災教育・訓練の賜物でした。現地では古老より申し伝えられている“津波てんでんこ”が徹底されていたのです。「てんでんこ」と云う方言は一般に「てんでんばらばらに」と解されます。津波警報があったら躊躇せずに各々の判断で高台へ逃げろと云う教えです。家族のことを心配して逃げ遅れたら家族全員が全滅してしまうという教訓です。凄まじい教えですが、これも歴史から現地が学んだ教訓なのです。現地はここ数十年の間にも昭和8年の三陸大地震大津波、1960年のチリ地震津波と二度にわたり津波による大きな被害を蒙っています。その大きな痛みの中から“津波てんでんこ”が生まれました。釜石港に注ぐ鵜住居(うのすまい)川の河口1キロ足らずの所に東釜石中学と鵜住居小学校は位置していました。津波警報発令とともに中学生たちは先生の指示も待たずに学校を飛び出し、近くの小学校の幼い生徒たちの手を引いて高台の指定避難所となっている老人ホームへ逃げました。しかしまだ危険と直感した彼らはさらに山手へと1キロも非難し、小中学生徒622名全員が生還しました。全員の避難が完了した5分後に巨大な津波が鵜住居川を遡上し、東釜石中学と鵜住居小学校は完全に壊滅水没したのです。 一方、宮城石巻の大川小学校は生徒の8割が亡くなりました。大川小学校は北上川の河口上流4キロに位置しており、小学校自体が指定避難所でした。それでも“想定外”の津波は押し寄せました。総責任者の校長が出張していたこともあり、生徒は校庭に整列し点呼を受けていました。先生たちは親(保護者)に迎えに来てもらおうと連絡しますが、通信機能は途絶しており通じるはずもありません。そうこうしているうちに津波の一撃が襲って来たのです。かろうじて生き残った生徒は、直前に自分の判断(直感)で高台へ駆け登った者たちです。私たちはこの被災から何を学ぶべきでしょうか・・愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言われます。「福岡には津波は来ない!」と思われるかもしれませんが、その「かも」の思い込み“想定外”が多くの無垢の命を奪っていった事実(歴史)を心に刻まなければならない特別な夏です。

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